フィデューシャリー・デューティーとは規制強化のことなのだろうか①

フィデュシャリー・デューティー(受託者責任)という言葉を聞いたことはありますか?

金融庁の号令のもと、資産運用業界では活発に使われる言葉となっています。

一体、資産運用にたずさわる者は何をもって受託者責任を果たしていると言えるのでしょうか?

ファンドマネージャーとして思うところを2回に分けて書いてみます。

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フィデューシャリー・デューティーとは?

SMBC日興証券の解説によれば以下の通りです。

フィデューシャリー・デューティーとは、信認を受けた者が履行すべき義務のこと。日本語では受託者責任と訳されます。これは顧客本位の業務運営を指し、金融機関は資産を預けている顧客に対し、利益を最大限にすることを目標に利益に反する行為を行なってはならないとするものです。フィデューシャリー・デューティーという言葉は、2014年に金融庁が「平成26事務年度金融モニタリング基本方針」の中で初めて扱ったことで話題となりました。

金融業界のキーワードとして使われていますが、本質的な意味は「信認を受けた者が履行すべき義務」のことです。

例えば、医者は患者から信認を受けて診察をします。患者には医者以外に頼れる人がいません。
医者は患者の痛みをとったり病を治すことを最大限の目標とすべきです。

例えば、自家用車の調子が悪くなったら整備工さんのところへ持っていきます。
整備工さんは車の壊れている個所を見つけ、パーツを交換したほうが良いという判断が可能です。
しかし、このまま敢えて別の処理をして、車を完全に直さないでおけば、またこのお客さんには何度も足を運んでもらえて、短期的に売上は上がるかもしれません。

こういうことをせずに、顧客の利益のために最大限のふるまいをしなくてはいけませんよ、というのがフィデューシャリー・デューティーなのです。

そういう意味では、このフィデューシャリー・デューティーという原則は、信認関係を結ぶべき顧客と業者の間に情報の非対称性がある場合に非常に重要となります。
情報の非対称性とは、一方が知らない情報を他方が優先的に持っている状態のこと。
つまり、今の例でいえば、医者や整備工のように、業者側は高い専門性を持っているが、顧客には専門性がない状態のことがそうです。

情報の非対称性がなければ、業者が手を抜いたり顧客を欺いたりしたら、顧客はそれを直ちに指摘し、ルールや法律に則ってしかるべき対処をとることが可能ですから、あまり大きな問題にはならないはずです。
情報の非対称性があるから、手を抜いたり悪さをする余地が生まれます。

最後にくどくなりますが資産運用業界に合わせてもう一度。
仮にサボったり欺いたり手数料を余計にとれるような状況であっても、顧客の利益を最大限にするための行いをしなくてはなりませんよ、というのがフィデューシャリー・デューティーです。

誰が果たすべき責任なのか?:米国の例で考えてみよう

もともとフィデューシャリー・デューティーの考え方は、金融サービスが先行して発達していた欧米から持ち込まれたものです。
米国では、1974年に制定されたエリサ法(Employee Retirement Income Security Act)において、すでにフィデューシャリー・デューティーの概念が盛り込まれています。
エリサ法は、企業年金の加入者を保護する目的で作られた包括的な法規制です。

なので、当時は、企業に勤めている間に積み立てる、企業型確定拠出年金(DC)の投資家を保護する目的で盛り込まれていたルールでした。
投資信託であれば「妥当な信託報酬の水準にしなさい」「しっかり分散投資しなさい」とか、どちらかというと運用会社を想定した規制に見えます。
おそらく、従業員が企業型DCで積み立てる時期を保護の対象として想定したのです。
悪さをする金融業者がコストの高い商品やギャンブル性の高い商品を販売・運用することがないように、というのがあったのでしょう。

しかし、米国のサラリーマンがいざ退職して、企業型DCで積み立てた金融資産をすぐに取り崩し始めるか、というと必ずしもそうではありません。
実際には、退職して気ままに生活するにしても、積み立てた金融資産をすぐに引き出したりはしない人が多い。
つまり、退職しても資産運用を継続する人が多いのです。
(これは人生100年時代と言われる現代、特に日本についてはますます同じ状況になると思われます)

そこで、退職しても資産運用を続けたい人は、企業型DCからIRA(個人退職勘定)と呼ばれる口座に替えて(ロールオーバーして)運用を継続します。
IRAはざっくりいうと日本の個人型確定拠出年金(iDeCo)のようなものです。

企業型DCではエリサ法によって受託者がフィデューシャリー・デューティーを順守し、投資家が保護されていたのに、退職してIRAに移ったらその保護対象から外れてしまうわけです。
こうなると、悪い投資アドバイザーは「こういう商品もいいんじゃないすか!?」と言って、IRAで運用を継続する投資家に対して、自分の手数料を優先したアドバイスをしてしまいます。
投資家が退職して、企業型DCからIRAにロールオーバーする時期を虎視眈々と待つような投資アドバイザーもいる状況だったと聞いたことがあります。

で、「これではいかん!」ということで米国では、フィデューシャリー・デューティーが見直され、「運用会社だけじゃなくて投資相談をするようなアドバイザーもしっかり規制するからね」という流れになってきたのです。

最初の質問に戻って、フィデューシャリー・デューティーは誰が果たすべき責任なのなの?と聞かれたら、
「運用会社も販売会社もその他投資家にかかわる関係者全員です」というのが答えになります。

ただ、上で述べたように米国においても紆余曲折はあり、規制の適用範囲は当初の運用会社などの受託サイドから、投資アドバイザーなどの販売サイドへと広がりを見せ、少しずつ変化しつつあります。
現在、規制対象を広範にするために、米国ではSEC(証券取引委員会、日本における金融庁に相当)が統一フィデューシャリー・デューティー基準の策定を進めています。

日本におけるフィデューシャリー・デューティーはどうか?:金融庁のメッセージを見てみよう

それでは、日本のフィデューシャリー・デューティーはどうなの?
金融庁が平成29年3月30日に発表した「顧客本位の業務運営に関する原則」では、基準となる7原則の記載があるので見てみましょう。

原則1.金融事業者は、顧客本位の業務運営を実現するための明確な方針を策定・公表するとともに、当該方針に係る取組状況を定期的に公表すべきである。当該方針は、より良い業務運営を実現するため、定期的に見直されるべきである。

原則2.金融事業者は、高度の専門性と職業倫理を保持し、顧客に対して誠実・公正に業務を行い、顧客の最善の利益を図るべきである。金融事業者は、こうした業務運営が企業文化として定着するよう努めるべきである。

原則3.金融事業者は、取引における顧客との利益相反の可能性について正確に把握し、利益相反の可能性がある場合には、当該利益相反を適切に管理すべきである。金融事業者は、そのための具体的な対応方針をあらかじめ策定すべきである。

原則4.金融事業者は、名目を問わず、顧客が負担する手数料その他の費用の詳細を、当該手数料等がどのようなサービスの対価に関するものかを含め、顧客が理 解できるよう情報提供すべきである。

原則5.金融事業者は、顧客との情報の非対称性があることを踏まえ、上記原則4に示された事項のほか、金融商品・サービスの販売・推奨等に係る重要な情報を顧客が理解できるよう分かりやすく提供すべきである。

原則6.金融事業者は、顧客の資産状況、取引経験、知識及び取引目的・ニーズを把握し、当該顧客にふさわしい金融商品・サービスの組成、販売・推奨等を行うべきである。

原則7.金融事業者は、顧客の最善の利益を追求するための行動、顧客の公正な取扱い、利益相反の適切な管理等を促進するように設計された報酬・業績評価体系、従業員研修その他の適切な動機づけの枠組みや適切なガバナンス体制を整備すべきである。

どうでしょうか?

何だかぼんやりとしていて分かりにくいですよね。
実は、日本のフィデューシャリー・デューティーでは、敢えて金融庁がこのようにふんわりとした表現をしています。

その理由は、金融庁としては、フィデューシャリー・デューティーの原則は、

本来、金融事業者が自ら主体的に創意工夫を発揮し、ベスト・プラクティスを目指して顧客本位の良質な金融商品・サービスの提供を競い合い、より良い取組み を行う金融事業者が顧客から選択されていくメカニズムの実現が望ましい

としており、

従来型のルールベースでの対応のみを重ねるのではなく、プリン シプルベースのアプローチを用いることが有効であると考えられる。具体的には、当局において、顧客本位の業務運営に関する原則を策定し、金融事業者に受け入 れを呼びかけ、金融事業者が、原則を踏まえて何が顧客のためになるかを真剣に考え、横並びに陥ることなく、より良い金融商品・サービスの提供を競い合うよう促していく

と記述していることから分かります。

つまり、顧客の利益を最大に考えてほしいから、こういったメッセージを出しているけども、あくまで「ルールで規制して従わせる」のではなく、この原則にしたがって「金融機関がそれぞれ自分の頭で真剣に考えてください」ということなのです。

法規制を作りルールで縛っても、「このルールさえ守れば問題ないんでしょ?」という姿勢に陥りがちで、結局はその制約条件の中で自己利益を最大化しようと考える金融業者が出てくるかもしれません。

そうではなくて、原理だけは金融庁が示したうえで、アクションは金融機関にお任せすることによって、「ライバルはこういう規範を作ってるし、うちも同じかそれ以上のことをしたほうがいいな!」という、金融業者たちの良質な競争を促そうとしているわけです。

現時点での私の感想:結局はルールが必要なのではないか

2014年に金融庁がフィデューシャリー・デューティーという言葉を資産運用業界に投げかけたときは、驚きと戸惑いをもって受け入れられました。
「一体、フィデューシャリー・デューティーって何?」「結局、何をすれば良いの?」というのが曖昧だったことが背景にあります。
(ただし、先ほど述べたように、それは金融庁のメッセージでもありました)

しかし、その後ほぼ全ての金融機関がフィデューシャリー・デューティーの行動指針を示し、この原理に従うことを表明しています。

その後、実際に資産運用の現場は変わったのでしょうか?

私個人として、金融庁の狙い通りに何かが変わったという実感はあまりありません。

例えば、今年に入り、つみたてNISAがスタートしましたが、それに合わせて金融庁は適切な報酬水準などを勘案し、商品をラインナップしました。
これによって投資信託の低コスト競争が激化したわけですから、私たち投資家にとっては喜ばしい限りです。まさに、良質な競争が招いた結果です。

でも、これって結局、金融庁がテコ入れをしていて、金融機関の自助努力に任せていないのでは?と思ってしまうのです。あくまで、きっかけは金融庁の商品選定ルールです。
ルールベースではなくプリンシプルベース、細則主義から原理主義へ。
この流れはまだできていないように思います。

米国では、そもそもエリサ法などとの法規制とのセットでフィデューシャリー・デューティーの概念は語られており、ルールベースの様相が強いです。
日本とは若干の温度差があります。

次回は、米国での法規制として最近始まった事例をもとに考えを深めたいと思います。

それではまた!